『人生最大の病は傲慢なり』・・・僕の学びの中で最も大切な、心に留めている言葉だ。
僕は『常に何かの恐怖に追われた日々を過ごし、常に自分の経営者としての能力を疑いながら過ごしてきた。』
その訳は、ただ何となく起業し、目指すべきゴールが見いだせていない中で、進むべき道が定まらなかったからだ。
つまり、目指す先の無い現在を進む不安は、全てに受動的な行動と結果をもたらし、消えない不安をもたらした。
それと同時に、消えない不安から、常に何かに追われる様に必死に走って来た。
少し話がそれるが、僕は運だけは良いと思っている。
人との出会い、経営者となったきっかけ、周りのみんなにサポートされ立てることができた売上など。
実際に自分が感じる実力以上の結果を手にしてきた、運に恵まれたと思わざる得ない事が沢山ある。
そう、自信のない自分がいて、運だけでそれなりに上手く行っていると言う自覚があったのだ。
だから、この言葉を初めて知った時、「僕には関係なく、もっと大きな成功をした人が陥る他人事」として考えていた。
小さな成功の落とし穴
そんな中で、少しずつクライアントが増え、少しずつ売り上げと単価が上がり、少しずつ収入も上がっていった。
だが、事業的にも売上的にも、謙虚にならざる得ない状態はまだ変わっていない。
なのに少しずつ小さな成功で、苦しい状況が緩和されるにつれ、謙虚さを失いつつある自分に、怠惰な姿勢が出始めている自分にこの時は目を塞いでしまっていたのだ。
今考えると、ほんの少し金銭的に、好転しただけで自慢できる程の結果が出たわけでは無かったにもかかわらず、傲慢と言う病に陥ったのである。
結果として、順調に進んでいた際に得た、クライアントは去り、売上は急降下した。
自身の傲慢な振舞いと事業の失速で、本当に潮が引くように人が去っていった。
さらに、このブログのテーマである、少額のリボ払いから始まり、気づけば計1,000万円まで膨れていた借金も、他の要素も複数絡んでいるものの、この時期がきっかけである。これはおいおい記事にして行こうと思う。

失した先にあったもの
“傲慢”と言う病に陥った時、これを直す事ができるのは誰でもなく、自分だけしかいない。
もっと言うと、この病の薬は“自分との向き合い方”を自分自身で気づくしかないのだと思う。
ただ、僕の場合はそのきっかけをくれたのは紛れもなく、傷をなめあうだけの生温い関係でななく、僕に失望しながらも本気で然り、そしてもう一度許し、信じてくれた方々の存在だ。
ありきたりの言葉にはなるが、“感謝”以外に表現できる言葉がない。
傲慢の病にかかった僕は、間違いなく、良くない刹那的な幸せを感じていた。
そもそも“何が幸せ”なのか、人それぞれの価値観があるのと同じように、幸せの定義も人それぞれだろう。
ただ、科学的な幸福感の研究では、“お金”と“人間関係”の相関を多々、目にする。
これは別の記事で書こうと思うが、この相関はあながち間違えていないと思う。
少なからず、お金で浮かれ、人間関係でその幸せ感を失ったのだ。つまり小さな成功だけでも傲慢に陥っていたのだ。
人生最大の病 “傲慢” は油断していると、直ぐに誰にでも近寄ってくる物なのかも知れない。
だが、感謝を失わない謙虚さを常に自分に問いかけ、向き合い、自己との付き合い方を深め、知る事で傲慢は抑制できる。
縁あり、この記事を読んでくれた方にそう願うのは、何かを失ってから組み立て直すほど、人生において全力で走れる時間は自分が思うほど長くないのかも知れないからだ。
本日もあなたの時間を投資していただきありがとうございました。